2009年3月29日 (日)

櫻だより

青梅市 吉野梅郷は、今年例年になく訪れる人が多かったようです。とくに青梅市梅の公園は3月中旬からにぎわいました。 日本経済新聞の梅の名所のランク付けで、吉野梅郷が全国一位に輝いたことが大きく影響しているようです。 梅の季節もおわりを迎えつつあり、櫻の季節に変わりつつあります。青梅市には、櫻の名所としてまとまったところはありませんが、強いて言えば、新町 都畜産試験所敷地の周囲・河辺町 青梅市総合病院構内・釜の淵公園 多摩川堤防・仲町 梅岩寺のしだれ梅(2本)・河辺町 市民球技場などが市民に親しまれている。 丘陵地帯や多摩川沿いの景観の中に櫻ががあるとき、それが一本であってもいい景色となって潤いを与えてくれる。 どうぞ、ハイキングがてらお越しください。 上記の地点の櫻は私のHPに掲載してゆきます。こちらにもご来訪を。 >>青梅と私http:/ome-watashi.com    >>青梅の広場から http:/ome-hiroba.news.coocan.jp

2009年3月11日 (水)

青梅市吉野梅郷・梅の公園の今

青梅市梅の公園は3月11日現在、咲揃い観梅真っ盛り。最近日本経済新聞が全国の梅の名所のランクづけを行い、青梅市梅の公園が一位にランクされたそうです。観光関係者やカメラマンなどによる選考といわれている。地元でも喜んでいるし、現に今年は観梅に訪れる人も多く、また遠方からも多くの人が訪れているそうです。この公園の様子は私のHPでも毎年掲載してます。「青梅と私」と「青梅の広場から」で、後者はブロードバンドによる人のために映像に重点を置いています。どうぞぜひご覧下さい。

政局も新たな展開。マスコミも懸命で、マスコミがあれこれ情報を提供すればするほど、混乱するようで、高齢者もついていけない。 そんな中近々にまた支持率の発表がありそうです。 その都度調査方法などの詳細を明記すべきであると思う。一般的には統計の発表は極めて難しことを学生時代に学習し経験もした。また支持率に触れてしまった。水戸黄門の見すぎかもしれない。あの印籠がふと目に浮かんだものだから。

2009年2月21日 (土)

青梅マラソン大会(2月15日)終了

日本で市民参加型のマラソンの草分けとして知られる「青梅マラソン」も、様々な問題を解決しながら今日にいたっていると言われる。東京マラソンとの関係も落ち着いて、来年2010年度44回を、2月15日に決まったそうだ。また、やっと青梅マラソン公式サイトがスターとした。昨年は降雪で中止となったが、当日早朝から問い合わせの電話と市のHPへのアクセスが殺到し、苦い経験をしたようだ。私のHPも一時おかしかった。私も10年以上私なりの青梅マラソンの情報・映像を発信している。 しかしだんだん更新作業が円滑さを欠き、いたずらに時間を食ってしまうのです。 だが、色々な人からメールを頂戴したりすると、また元気が出て、来年こそはなどと思うようになってしまう。この繰り返し。  来年こそは頑張ります!

2009年2月 9日 (月)

国民という言葉

永い事 ご無沙汰でした。 紅葉の頃を最後に今探梅の候まで色々なことがありました。思いもかけないアル意味生涯に一度あるかないかの出来事も。 今頭を悩ませているのは確定申告。年金という限られた収入に頼って生きている。それはいま派遣切りとか内定取り消しとか契約打ち切りなどが、突然降りかかってきた人たちに比べれば不満など言えるものではない。また、年金も私の場合は正しく滞りもなくいただいている。何もいえなくなってしまうが、年々手元に残るお金は寂しくなってくる。テレビでは衆議院予算委員会の実況をやっている。大臣や委員の発言のなかに頻繁に「国民の前に・国民に向かって・国民の声など」と言う言葉が出てくる。私も国民だが、そうかな?なんて思うこともある。もう一つよく聴きどのようにして調べるの?という言葉に「支持率」がある。マスコミの支持率を聞き世間にまた新しい支持率が生まれる。支持率は大事なものなのです。安易に使わないで下さい。 と言いたくなる!

2008年11月 8日 (土)

立冬・紅葉

暫くあれこれ気を回している間に、立冬となっていました。大学のクラス会計画・父と母の法要計画・いきなりやってきた私へのご褒美への対応などで、青梅の紅葉の様子をHPにアップするのがおろそかになってました。多摩川の両岸や丘陵の所々で紅葉が進んでいます。このところの冷え込みがなせる業。明日からの週末は、ガソリンの値下がりなどで青梅街道が賑やかになることでしょう。また、来年2月15日の青梅マラソン大会に備えて試走する人たちも目に付くことでしょう。 青梅での紅葉のピークは例年11月中旬からです。噂では奥多摩湖周辺の紅葉が見頃となった由。

2008年9月30日 (火)

9月も終わり

麻生総理大臣の施政方針演説があった。自意識過剰のところが気になるが、常にこの人らしい独自の発想でものを言い、過去の流れで質問をしてくるマスコミには厳しい顔で自分の独自性を説明する。この点は小泉元総理と似たところがある。福田前総理とは違う。 朝晩の冷え込みを感ずる今日この頃、政局に気を回していると日の経つのも早い。各地で週末には運動会が行われている。28日(日)に近くの小学校の運動会に行った。この2・3年で生徒数が極端に減っている。運動会の勢いだけでなく、種目や進行の早さなど全てが変わってしまっているよう。父兄などを含めグラウンドいっぱいだったのが、人の居ないスペースが目に付き、寂しく、閣僚の暴言や今日の政局のことまでが去来した。甥の子供は隣の席の学友と元気にじゃれあっていた。

2008年9月 1日 (月)

再オリンピック柔道

8月18日の記事「オリンピック柔道」に関連して、100k超級の石井選手の金メタルを取るために努力してきた経緯について、2・3日前にNHKがドキュメントを放映していた。これは私の憂いをある意味で払拭するものでした。かれは繰り返し国際的な試合の進化した最近の柔道のことを、「JUDO」と区別して称していた。それに対して独自に対策をこうじてきた。筋肉トレーニングなどで徹底して筋力とスタミナをつけてきた。始めの3分間体力をぶっつけて、技を仕掛け反則を相手に与え優位に立つ。多くの外国選手が3分後にばててくることを確かめていたのである。彼の狙いが的中した。彼は一本でなくともJUDOは勝は勝ちなのだと言い切る勇気を持っていたのである。とくにオリンピックはメダルの勝負。日本の(世界の)多くの人が、マスコミもメダルにこだわっている中で、彼は「一本」を捨ててきた。でも・・・・。私は素早い固め技・関節技にこだわり一本をとる選手も出てきて欲しいと思っている。

2008年8月27日 (水)

横田基地友好祭(08.08.23)

生憎の雨降り。年に一度のキャンプ開放とあって、朝早くから結構遠くからも大勢訪れていた。ファーストフードやキャンプグッズなどの販売、ステージでのライブ、軍用機の展示や飛行実演等8月23・24日の二日間行われた。私は展示飛行機を見て廻った。子供の頃模型飛行機の製作に明け暮れた時期があり、飛行機の機能や飛行原理・バランスなどを理解した。美しさの点で小型の戦闘機・攻撃機などに惹かれる。カメラに収めたのは毎年同じような写真が多い。各所にサービスと警備などのため活動しているアメリカ兵も友好的。彼らが日本語をよく話すのには驚く。キャンプの地域に対しての気遣いが感じられる。私も40年前しばらく隣接地域に住んだことがあり、騒音に悩まされた経験がある。現在では、地域とのトラブルは聞かない。当日の様子はホームページにアップしました。 >「青梅の広場から」>ギャラリー>特集2

http://ome-hiroba.news.coocan.jp/galltokushuu2/indextokushuu2.htm

2008年8月18日 (月)

オリンピック柔道

国際柔道と呼ぶのが適切かも知れない。オリンピックの映像を見ていて、随分

と進化してしまったものだと驚く。勝負に徹し、メダルをとることが一義的になり、

なりふり構わなくなってしまった。 柔道着の本来の文化が無視され、故意に前

をはだけていてもレフリーは正さないときもある。型にとらわれず必死になって

組み手を嫌う豪腕の外国人に対してどのように対処するか。這いつくばって両手

狩り・朽木倒しの奇襲をしてくる相手に対してどうするか。技を掛け損なって、反

則を誘うために亀のように繰り返しうずくまってしまう相手をどうするか。(この手

にかかる日本の選手も何人かいた。)

日本のチームを指導している人は何年か前まで現役の人。しっかり釣手を持っ

てやれ! 引き手をはなすな!・・・・・ これが簡単に出来れば、今の代表選手

なら負けることはないと思う。 関係者は現実を見極め、柔道と名の付く限りは、

指導者を含め様々な角度からこの問題を解決して欲しい。 素人目にも、どう

して寝技・固め技・関節技をもっと身に着けさせないのかわからない。現に今

回のオリンピックで寝技で勝ち上がった選手もいた。また、くしくも2・3日前の

新聞に、元王者山下氏が寝技を身に着けさせる必要があるとかいている。

昨年国際柔道組織の役員から日本人が居なくなったという。現実を直視して

明日からロンドンオリンピックに向けてショウジンして欲しい。ただ、一柔道フ

ァンとしては、街の道場のよい子達には、背筋の伸びた堂々とした柔道をさ

せて欲しいと願う今日この頃です。

2008年8月 6日 (水)

広島を思う

8月6日 廣島に原爆が投下された日。今年も朝からテレビで追悼式典が映し出されていた。あの平和への決意表明は私には毎年新鮮に聞こえる。昭和59年から3年間広島に赴任し、身近に色々な情報に接した。H大学の医学部のあるキャンパスは爆心地から比較的はなれ、小さな山に阻まれ直接的な被害は少なかったらしい。投下直後ここで被爆者の治療や放射能の研究が開始された。本部キャンパスの近くに日赤の病院があり、ここでも当時の様々な惨劇が語り継がれている。今街に出ればいたるところに碑やモニュメントが目に入ってくる。
地元出身の先輩や同僚によく聞いた。廣島市民には、誇りは強いが極端な地元へのこだわる意識が余りなく、排他的なところが薄く感じていた。これはやはり原爆に起因するのではないか。多くの市民を失い(合掌)、その後復興のために次第に周囲から移り住んだ人たちがいるのだ。 勿論平和運動や新たな復興運動などで、市民の意識が他に向けて広がり、国際的な感覚まで広がってきたのは確か。H大学の私が関係する部所での、新しい分野への活動は他をリードしていた。それはそこに居る人たちの意識が過去にこだわりをもたないで、率直に前向きの思考を働かせることが出来るからではないか。  テレビ放映を見ながら嘗ての同僚などを思い、思いを馳せた。

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